記憶の独り立ち(漫想新聞11号掲載)

アマゾンのビデオ配信サービスに「カーシティ」というアニメーションのシリーズがある。実際のタイトルとしては「カーパトロール」とか「スーパートラック(のカール)」「レッカー車のトム」といった作品名で登録されているのだが、どれも擬人化された車両たちが暮らす街「カーシティ」を舞台とした、いってみれば「カーズ」とか「トーマス」の亜流であろう「のりもの」モノの子供番組だ。この世界には人間が登場せず、乗り物だけが「演技」するためアニメーションの動きが少なく、また個々の登場車両にセリフがなく、代わりにナレーションのみでストーリーが進行するなど、低予算で作られていそうな事が視聴してすぐにわかる。アマゾンやユーチューブには同様な低予算子供向け番組が多数配信されているのだが、それらの中には子供の耳目を引くためにとにかく色使いをどぎつくしてあったり、出来合いのコンピュータグラフィック素材をコラージュ的に組み合わせて作った結果サイケデリックな悪夢の様な映像になってしまっていたり、といった番組も多い中、「カーシティ」シリーズは絵柄に統一感もあるし、全体に雰囲気が穏やかで、親としては安心して子に見せられる印象だった。日本語版のナレーションについて「棒読み」と視聴者から揶揄されている事もあったが、それはむしろ絵本の朗読の様な素朴な暖かさを感じさせるし、またおそらく全世界で「薄く広く」視聴される事を意図している番組ゆえなのだろうが、どこの国を舞台にしているのか分からない地域性を排除した背景が描かれ、その上でクリスマスやハロウィンといった日本のアニメでもお馴染みのイベントに加えて、春節や死者の日といった様々な文化圏の祝祭が登場する点なども興味深かった。

子が2〜3歳だったころ、この「カーシティ」シリーズや、他にも似た様な番組を毎日の様に見ていたのだが、その事を子はまるごと忘れている。番組の内容だけでなく、タイトルを聞いても「何それ?」といった反応である。あんなに一生懸命、何度も見てたのに?とちょっと驚いてしまう。ところが話を聞いていると、忘れているのはその番組だけでは無さそうだ。その後で見始めた「仮面ライダー」(これも配信で、過去の「平成ライダー」シリーズをいくつも見ていた)なんかも、シリーズとしての「仮面ライダー」は今も続いており、本棚に「平成ライダー大集合」みたいな本が今も残っているのもあって「仮面ライダーカブト」といった存在は知っているものの、実際に視聴していた内容に関する記憶はごっそり無くなっている様だ。他にも「パウ・パトロール」にハマって毎日の様に視聴し、のみならず8日間続けて同じ1つのエピソードだけ繰り返し見ていた事はこちらは絶対忘れようもない事なのだが、そんな視聴の仕方をしていた事も番組内容もろとも忘れている。こちらも「パウ・パトロール」のテレビ放送が今も継続していて、見ようとせずとも目に入る(なにしろ小学生に大人気の「ベイブレードX」の前に放送している)から、番組としての「パウ・パトロール」の存在は知っているのだが、その視聴体験についての記憶はもう無い。

つまり「カーシティ」シリーズの様にビデオ配信サービスの中にしか存在しないため、意図せず目に触れる事がなく、グッズや本の形で手元に残る事もない番組を見た記憶は、それがどんなに執着していたものだったとしてもすっかり忘れられてしまうのである。他にも低予算CG教育アニメの金字塔「マックス・ザ・グロウ・トレイン」や、カントリー調で消防システムの素晴らしさを伝える歌が軽快な「ロッツ&ロッツ・オブ・ファイアトラックス」、アニメでモータウン・クラシックスを学べる「モータウンの魔法」など、子が大好きな番組で、かつ私にとって忘れられないものが沢山あったのだが、それらは今では私しか憶えていなくて、まるで子育ての忙しさに見た幻覚だったのだろうかとさえ思えてくる(妻も憶えてるけど)。

ここからが本題なのだが、この様に小さい頃の出来事をごっそり忘れている状態は、実は誰にでも起きている現象で「幼児期健忘」という名前で知られている。忘れるのはもちろんテレビ番組だけでなく、例えば保育園で遊んでいた友達の事も、卒園まで一緒だった子たちの事はなんとか憶えていても、途中で転園していった友達のことは忘れてしまっていたりする。

ほぼ誰にでも起きているとされるこの幼児期健忘だが、多くの人はそれをあまり意識しない。昔のことを忘れているのは当たり前で、それが幼少期の様に大昔のことになればなおさらだから、名前がついている現象であるとはいえごく当然のことでもあるからだ。しかし私は子供の頃「3〜4歳以前の記憶が無い」事が不思議でしょうがなかった。というのもちょうどその頃に家の引っ越しがあり、転居後の家での生活は何でも思い出せるのに、転居前に住んでいた家がどんな家で、そこでどんな生活をしていたかなどを一切思い出す事ができないのだ。そういった疑問を抱えていたため、その後「幼児期健忘」という言葉に出会った時は「これだ!これだったんだ!」と興奮した記憶がある。(続く)


このエッセイの全文は「漫想新聞 第11号」(2025年7月発行)に掲載されています。

ピンクで「かわいい」やつ(漫想新聞10号掲載)

「ぐりとぐら」の中川李枝子・山脇百合子コンビのデビュー作である「いやいやえん」は、発表から六十年以上経つ今も名作とされる童話作品だけど、子供の頃に読んだ時は、ひどくイヤな話だと感じた記憶がある。とはいえどういう所がイヤだったのかはっきり憶えているわけでもなく、子供の本を借りに図書館に行ったついでに「いやいやえん」を借りてきた。子供向けの本ではあるが、主に自分が確認するためだ。

「いやいやえん」の先生と思われる「おばあさん」のイラストがなんだか不気味だった、という事は憶えていたが、実物は記憶にある以上に不気味だった。(私は「ぐりとぐら」シリーズの絵もちょっと苦手で、特に「うみぼうず」の茫洋としたデカさにはいい知れない不安を煽られる)しかしそれ以上に「あ、これだったか」と思ったのは、冒頭、主人公のしげるが「赤は女の色だから」という理由で赤い服をいやがるシーンだ。

私は名前が女性っぽい響きの「ハルカ」なので、幼稚園に通っていた頃、その名前を「女だ」とからかってくる子供がいた。今ではそんな事気にしないというか、そもそも名前が女性的であるという事を指摘するだけでは「からかい」として成立していないと思うのだが、実際の子供同士のやりとりでは、言葉の内容とは関係なく口調や表情によって「お前をからかって/いじめていますよ」というメッセージが発信されて、とにかくそれが成立してしまう状況がある。そういった経験があった上で、服やおもちゃの色が赤いというだけの理由でそれを「女のもの」と決めつけて忌避する主人公は「あいつら」の姿とダブって見えていたんだと思う。これが私にとっての「いやいやえん」のイヤさの正体だった。

ところで「いやいやえん」の主人公・しげるが「女の色」と言っていやがった服の色は赤色だったが、今は赤が女性らしい色というイメージは無いのではないだろうか。大人向けよりもカラフルな服が多い子供服を見ても、薄ピンクと薄紫色が例外的に「女児向けの服」というイメージで使われる以外は、色そのものだけで性別を規定する様な使い方はされていない。私の子が通った保育園でも(薄ピンク・薄紫色の物を除けば)男子も女子もそう変わらない色合いの服を着ていた。

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子が四歳になる前の冬、西松屋でピンクの長靴を買った。あまり服装にこだわりがないタイプの子だったが雨具にはなぜか関心があり、店に並んでいる長靴を入念にチェックした上で「キラキラしててきれいだから」と選んだものだ。全体にラメが入ってキラキラしていて、またピンク色も今の流行りではない濃いめのやつで古臭いデザインだったのだが、西松屋のプライベートブランドだからこんなもんだろうとも思うし、西松屋のプライベートブランドゆえに安いという点は良いしなにより子供が自分で選んだ物なので、それを買った。

長靴を買った当初、子は喜んでそれを履いていたのだが、しばらく雨のない時期を挟んで六月になると、それを履くのをいやがるようになった。理由を聞くと「かわいいから」いやだという。実はこの「かわいい」には、私たちが普段口にする「かわいい」と少し異なるニュアンスが含まれている。

私が子供だった頃と異なり、現代では「男の子だからこうしなさい」「女の子だからこうしなさい」と子供たちに性別による「らしさ」や性役割を押し付ける事は、野蛮でしてはいけない事だと、多くの人が理解している。園の保育士さんたちもそういった時代を生きてきた人達であり、また保育士としての教育課程でもそういった事を十分に学んできたのだと思う。

それを象徴しているのが「おもちゃのスカート」だ。保育園では外遊び時などの利便性を考慮して、基本的に男女どちらもレギンスなどズボン状の服を履いているので、おままごとの様なごっこ遊びで「スカートを履いた役」ができるように、筒状の布にゴムを通して簡単に脱ぎ着できる様にしたスカート風のものがおもちゃとして用意されている。子供が乳児クラス(四月時点で〇〜二歳児である子供が所属するクラス)の頃は、どの子も性別に関係なくこれを履いて遊んでいた。ウチでも子にはズボン状の服しか履かせていなかったので、お迎えにいってスカートを履いた子が走ってくるのは新鮮で楽しかった。保育園での普段の様子は送り迎えの時や子の発言など断片的に窺えるだけなのだが、性別によって違う遊びに誘導されるような事はなく、子供たちのやりたい遊びをさせてくれているのだなと感じられた。

しかし、保育園で働いているのは保育士さん達だけではない。パートの職員さんたちは比較的高齢の方が多く、性別で好みや遊びを規定するべきではないという考え方が知られる以前の時代を長く生きてきた方々だ。そういった年齢層の異なる人たちが働く園内で、子供達に対してジェンダーの押し付けが行われるのを回避するための方針として、「男の子だから」「女の子だから」「男の子っぽい」「女の子っぽい」といった言葉を使わない、という方針が取られていたのだろう。保育園でも子供の口からも、そのような表現を聞いたことがない。(続く)


このエッセイの全文は「漫想新聞 第10号」(2023年5月発行)に掲載されています。

2020年自宅の遊び (漫想新聞9号掲載)

2019年末からの新型コロナウイルス感染症の世界的流行に伴い、翌2020年4月9日より、自治体から保育園の登園自粛が要請された。建前では要請であり強制ではないとはいえ、期間中の登園には保護者の職業(緊急事態宣言下でも休業できなさそうな物である事が暗に要求されている。そもそも自治体側は保護者の職業を把握している筈だが……)を記載しての申請が必要であるなどなかなかの強制力を感じさせる状況になっており、またかねてから園内での子ども達の感染や、重症化しやすい高齢者の割合が高いパートタイムの従業員さんたちが感染してしまうリスクを心配していた事もあり、自粛要請期間が始まる4月13日から保育園を休園させる事にした。

幸運にも父母共に在宅での仕事が可能だったので、休園中の生活は基本的に、午前中は父が子を担当し母は仕事、3人で昼食を食べた後、午後は母が子を担当し父は仕事、というスケジュールにした。我が家では子が新生児のころ、保育園に通い出す前にも同様のスケジュールで生活しており、またその時よりも子の世話が楽になっている事もあってなんとかなるんじゃないか、という気分ではいた。実際、5歳になった子はトイレも着替えもほぼ自分でできるので、保育園を休園する事で親に追加でかかる負担は子の遊びにつきあう事がほとんどと思われた。とはいえ「つかまり立ち」さえできれば大満足だった新生児の頃とは異なり、成長した子どもは同じ遊びを続けていたらすぐに飽きるし、何事もなかった時期の週末にも「とうちゃんだけとあそぶのつまんない!こどもとあそびたい!」などと言い出す一方、親が介入しない一人遊びで長い時間を過ごせるわけでも無い…という年頃。外出に制約がある中でどんな遊びをして過ごしていたか、4〜6月の記録を元に紹介してみたい。

【紙工作】休園前から折り紙や画用紙を使った工作をよくしていたので、さらにペーパークラフトを加えてみた。日本の家庭用プリンタは本体を安く売ってインクカートリッジでもうけるビジネスモデルになっているため、家庭内のプリント需要を作り出すために各社工夫をこらしたペーパークラフトを無償で提供している。いくつか作っているうちに、かなり複雑な形でもハサミで切り出せる様になった事に驚いた。印刷したペーパークラフトで作った街に、画用紙に絵を描いて作ったオリジナルペーパークラフトの建物を追加する、といった展開も加えて、ペーパークラフトブームが結構な期間続いた。休園中に最も長い時間を過ごしたのがこの遊びだったと思う。その後保育園の再開に伴ってブームは去ってしまったのだが、時々思い出した様に「何かペーパークラフト印刷して作ろう…?」と提案してくる事がある。

【組み立て系玩具】休園開始後、翌々週には子の誕生日だった事もあり、前倒しで玩具をプレゼントする事にした。「ピタゴラ装置」に憧れがある子と相談の上「くみくみスロープ」(くもん出版)の一番大きなセットを買った。いわゆる「ピタゴラ装置」的なものは大人でもちゃんと作るのは難しいので、日常的な道具がコースに変わる面白さは無いものの、ブロックの様に組み合わせてコースを作れるこの種の玩具は手軽に気分を味わえて良い。一方で何をどうやっても「くみくみスロープのコース」しか作れないので、レゴやLaQなどのブロック系玩具に比べると賞味期限が短いと感じた。(続く)


このエッセイの全文は「漫想新聞 第9号」(2022年1月発行)に掲載されています。(記事自体は2020年に書いたものです)

続・イヤイヤ期 (漫想新聞8号掲載)

子が二歳だったころ、それから三歳になった後も、「イヤイヤ期大変?(大変だった?)」としばしば聞かれた。三歳になってしばらく経った今、聞かれたら……「実はまだイヤイヤしているのです」と答えるしかない。

むしろ、子が二歳児だった頃のイヤイヤは、一時的な発作としてイヤイヤしている感じで、しばらくたてばケロッとこちらの言う事に従ってくれる感じだったのだが、三歳九ヶ月のイヤイヤは、「おれはそれはイヤだから絶対にしないのだ」という確固たる意志を持ってイヤがっており、言葉も達者なら力も強く手に負えない。何が「魔の二歳児」だ今の方が断然大変だぞという状態である。

「イヤイヤ期」の原因についてよく言われている説明は、形成されはじめた自我の最初の働きであるという物だ。そもそも「イヤイヤ期」以前の子供、つまり赤ちゃんにとって、毎日の生活は何をするにも保護者のペースである。お腹の空き具合やオムツの状態などの生理的な不快感によって泣くという行動はあるものの、いつ何を食べ・何を着て・どこに出かけるのか、全て保護者に決められるがままの生活を送っている。これが、自我の形成に応じて自分の欲求や意思が生じてくると、保護者の決めた行動・処遇ではないものを求めるようになる。しかし、この頃はまだその欲求・意志を伝達する手段を持たないため、単純に「イヤ」と拒否する行動で示す他ない。「イヤイヤ期」は自己決定の最初の一歩なのだろう。

それでも言葉が少ない時期の「イヤイヤ」はそこで通したい欲求もまだ曖昧で、前述の通りひとしきり「イヤイヤ」し終わればケロっと「いい子」に戻ってしまう。しかし、成長に応じて知っている語彙が増え、言葉が自在に使える様になってくる事で欲求がより具体的に意識できる様になり、それを表現する手段も身につける事で子の「イヤイヤ期」は新しい段階に入った様に思える。これを便宜的に「続・イヤイヤ期」と呼ぼう。

私の子がこの「続・イヤイヤ期」に具体的に「イヤイヤ」してきた対象は時期に応じて異なるが、もっとも多いパターンは、今自分が一番やりたい遊び(レゴブロックだったり、ミニカーだったり、パズルだったり)を継続したいというもので、それを中断しなければいけない食事・風呂・登園・就寝などをイヤがる。というパターンが多い。

そういった場合、単に「イヤイヤ」とイヤがるだけに留まらず、イヤがる理由を述べる事でこちらを説得しようとしてくる。理由といっても「ごはんきらい」「おふろきらい」「ほいくえんきらい」といった単純なものだが、どう見ても本当に嫌っている様には見えない。「イヤイヤ」を乗り越えていざ食事を始めると結構きちんと食べるし、お風呂も入ってしまえばご機嫌でお風呂のおもちゃで遊んでおり、保育園には大好きな友人もいて、帰りは中々帰りたがらない。全ては、今やってるご機嫌な遊びを継続したいと言う気持ちがあって、その理由として「《次にやらねければいけない事》がきらい」という理由を生み出している。(続く)


このエッセイは「漫想新聞 第8号」(2019年3月発行)に掲載されています。通販品切れなんですが現在の最新号のため全文は掲載しませんので、続きはなんとか探して読んでください。ちなみに新型コロナとかあって漫想新聞第9号の発行が延びていますが、私の記事は2020年中に書いてありまして、2021年中には発行されると思います。

「はい、とうちゃんです。」 (漫想新聞7号掲載)

子からの親の呼び方には様々な流派がある事が知られているが、我が家では妻の希望で「とうちゃん」「かあちゃん」で行くと決めていた。といってもただ決定しただけでは実際に子がそう呼んでくれる様にはならないので、子が言葉を発する様になる前から、事あるごとに「とうちゃんだよ〜」などと積極的に自己紹介していく事になる。

しかし、これはあらかじめ想像できていたことだが、「とうちゃん」「かあちゃん」というのは「パパ」「ママ」と比べて相当発音が難しく、他の単語の習得に比べ、父母を呼ぶための語彙の獲得が相対的に遅れることになる。

また同時に、ちょっとした気恥ずかしさだったり、子供世代への安易な迎合なのではないかといった気持ちがあって、私も妻も子に対するコミュニケーションで幼児語をあまり使わないという状況があった。

だが、保育園に通う様になるとそうは言っていられない。保育園は幼児語天国であるし、子がちょうど保育園に通い始める時期が言葉を発し始める時期と重なっていたこともあって、子は保育園で大いに幼児語を吸収し、それを我が家でも広める様になった。やはり広く長く使われている幼児語の「幼児にとっての覚え・使いこなしやすさ」は相当である。

はじめに我が家に輸入された幼児語は「わんわん」あたりだったと思う。当初は犬だけでなく猫や、絵本に出てくるライオンなども「わんわん」と呼んでいたのだが、意外と正確に、それも写真・絵・映像・実物といったメディアの違いに関係なく四足歩行の哺乳類のみをそう呼んでいたので、視覚的な分類・認識能力が早くもある事に驚いた。また、その大きな「わんわん」のグループからまず「にゃーにゃー」を見分けて呼び分けることができる様になり、いつの間にか「きりんさん」「かば」も呼び分ける事ができる様になった。動物以外にも、一緒に外出した際に見つけた物事を「ぶーぶー」「ぶーん(飛行機)」「かーかー(カラス)」などと指差して説明する語彙が増えていく様子を見ながら、語彙の増加と、視覚による認識能力の精度が連動して向上しているなと感じた。

さて、保育園の先生や周りの子供たちは早くから「ママ」「パパ」という語を使っていたのだが、その語が最も多く使われるのが保育園のお迎え時間、子供たちがベビーサークルの中から親に抱え上げられて去っていくタイミングであったため、子は「ママ」という語を「私を持ち上げて下さい」という意味だと考えていた様だ。だから父親の私にも抱っこしてほしいタイミングで「マ〜マ〜」と言うし、「私を食卓の子供用イスに座らせてください」という意味でも「マ〜マ〜」と言っていた。

そういった状況が数ヶ月続いた後、子がついに、というか意外と突然、「とうちゃん」「かあちゃん」という語を発する事ができるようになった。その時点でかなりの単語をマスターしており言語能力をある程度獲得していたため、一度発音に成功したらすぐに「とうちゃん」「かあちゃん」と目的を持って語を使える様になった。その時の子は、直接家族二名を呼ぶ事ができて、とても便利で嬉しいという様子で、何度も「とうちゃん」「かあちゃん」と繰り返しては親に返事をさせ、満足そうにしていた。

その少し後の妻の出張から、子の様子が変わった。それまでも何度か出張で一週間程「母がいない」という状況があっても寂しがる様子を見せなかった子が、明らかに母の事を気にして寂しがり、私に度々「かあちゃんは?」と聞いてくる様になった。母がいなくて寂しい気持ちを言葉で表現できる様になったという面だけでなく、「かあちゃん」という語を獲得する前の状態では「家の大人がいつもより少ない」くらいの漠然とした認識だった事態が、「『かあちゃん』の不在」という形で認識できる様になり、寂しく不安な気持ちが明確になったのだろうと感じた。語彙が増える事で、周囲を認識する能力だけでなく、感情の解像度も上がるのではないだろうか。

その後、二才になる頃にはかなり達者に文章をペラペラ話す子供になり、最近では「おとうさん」「おかあさん」という語を「他の子供の父母」を指す言葉として把握しているらしく、突然「おかあさん」ブームが訪れて、やたらと他の子の親に「おかあさん、おかあさん」と呼びながら甘えていた。「とうちゃん」「かあちゃん」は保育園の他の子も使わないレア呼び名なので、子にとっては自分の両親だけを示す固有名詞になっており、私は毎日「とうちゃんとうちゃん!」と呼ばれては「はい、とうちゃんです。」などと答えている。


このエッセイは「漫想新聞 第7号」に掲載されています。通販品切れで掲載から時間も経っているため、全文掲載しました。デパートの擬人化?他の記事も面白いので機会があったら読んでね。漫想新聞。

赤ちゃんがおっさんめいているのは (漫想新聞6号掲載)

新生児の顔や仕草が男女問わず「おっさん」めいているという話を聴いた事がある人は多いのではないだろうか。私の子も例外ではなく……というか正直想像以上だった。新生児にとっておっぱいやミルクを飲むのは必死の重労働で、お腹いっぱいになるまで飲んだ子は真っ赤に上気し、かつ満足してぐったり……をこえてぐにゃんぐにゃんとした状態になる。そんな様子の子を抱きかかえていると、酔っ払いのおっさんを介抱している様な気持ちになった。酔っ払いのおっさんなのに大きさが小さい、という意味のわからなさが笑える。

顔つきについても、同じく小さな子を持つ知人がこんな事を呟いていた。

「新生児は容貌がガッツ石松派・出川哲朗派にほぼ二分されると聞いた気がする(うろ覚え)ので亀井静香は寧ろ個性がありいいと思います。」( Adeosy https://twitter.com/adeosy/status/653497466243846144

そう言われてみると、自分の子については高木ブーに似ているなと思っている時期があって、産まれた時から目と頰の間にあるシワの事を「ブーちゃんライン」と呼んでいる。「ブーちゃん」というのは高木ブーのブーでもあり、またこのラインがある事で頬のふくらみが強調されて、ブ〜ッと膨らんでいる様に見える効果を感じるという意味も含んでいる。ちなみに、これは新生児の顔のシワとは異なり表情筋の境目が見えているものらしく、子が一歳八ヶ月になる今でも残っている。

この様に新生児の見た目が「おっさん」に例えられやすい理由は、ひとつには顔がしわくちゃな事が挙げられると思う。それが「おばさん」ではなく「おっさん」なのは、大人の女性については化粧をしている顔を記憶している事が多いという理由と、だいたいの新生児が薄毛なので、薄毛の中高年男性という姿に結びつきやすいという事があると思う。

また、新生児の表情には成長によって獲得される類の動きがなく、あくび、眠くて目を閉じる、泣くといった生理的な動きしかしない。これが、表情筋の筋力の低下や、加齢に伴う落ちつきや情動の鈍化、場合によっては痴呆などによる、中高年〜老人の表情の動きの少なさと結びつく。

私の子が産まれてまだ一月も経たないころ、彼を抱いて顔を見ながら、自分の父に似ているなと感じていた。遺伝によって似ているという事ももちろんあるのだろうが、父が死んだのが子の産まれる一年半ほど前で、パーキンソン病の症状で表情に乏しかった晩年の父の様子の記憶が新しかったという事もあり、新生児らしい、黙ってどこかを見ているようなどこも見ていないような表情は、父が黙って何か考え事をしている時の雰囲気を強く感じさせた。私は懐かしさと同時に、赤子に戻ってしまった父を抱いているような奇妙な感覚を抱いていた。

ところが今になって当時の写真を見返すと、特に父にも高木ブーにも似ていないな……と感じる。「強いて言えば似てるとも言える」くらいの類似度だと思う。そもそも、高木ブーの顔にブーちゃんラインはなく、自分の勘違いだった(!?)。新生児の子育てという、睡眠時間が不規則になりあまり外にも出ない生活で、その子の顔ばかりじっと見つめていると、認識にゆるみができるというか、あるいは脳が少し暴走して手当たり次第に「記憶にある顔のパターン」と結びつけてしまうのかもしれない。

そもそも、インターネットでも育児雑誌でもいいので多くの新生児の顔を見比べてもらうと分かるのだが、新生児たちはだいたい似た様な顔をしている。それは個別の「〇〇ちゃん」「△△ちゃん」といった人格を感じさせる部分よりも「霊長類ヒト科の赤ちゃん」という印象の方が強い。新生児の顔のつくりが個々人として把握するには曖昧性があり、また人間の顔の祖型ともいえる状態である事と、それを見る親の精神状態に生じる隙、そういった要素が合わさって、それは見る者の記憶にある他の顔の形と容易に結びついてしまう。

だからメディアで度々目にして記憶に残っている有名人の中高年男性達の顔や、父親といった自分にとって身近で、また遺伝的にも近い中高年男性の顔に対しては、特に新生児が似ている顔だと感じやすいのだろう。という事は、メディアの発達していなかった時代には、新生児は親にとって、専ら自身の親に似ていると認識されやすい存在だった筈だ。私が感じた様な懐かしさや畏しさ、あるいは奇妙な感覚を新生児に対して抱いた親たちも少なくなかったかもしれない。人々の親への想いが様々である様に、その事が及ぼす効果も様々だっただろうが、少なくとも新生児が取るに足らない小さな存在ではない、無視できない存在感を持ったものとして生活に受け入れられるために、その顔を見ていると身近な中高年を思い出すという現象が役に立ってきた部分もあったに違いない。よく言われるように子供の成長は早く、そんな新生児らしい容貌は数週間で消え去って、誰が見ても「おっさん」とは言えない立派な乳児になる。そして一歳になる頃には「○○ちゃん」個人としての顔立ちもはっきりしてきて、立ち居振る舞いや表情にも個性が現れる様になって、保育園などで一歳児が沢山いる部屋の中でも各人の見分けがはっきりと分かる様になる。そんな頃の親にとっては「新生児はおっさんに似ている」と言えば単なる笑い話というか、早くもちょっと懐かしい感じの「あるあるネタ」となってしまうのだが、それはまだ社会性を持たない新生児が、家族という最初の社会に受け入れられるために役立つ道具であったとも考えられるのだ。


このエッセイは「漫想新聞 第6号」に掲載されています。通販品切れで掲載から時間も経っているため、全文掲載しました。GHQとか青鞜とか他の記事も面白いので機会があったら読んでね。漫想新聞。

ゆらゆらとシャカシャカ (漫想新聞5号掲載)

抱っこ紐に赤ん坊を入れた状態で、シャカシャカシャカ・ザザーと音を立てる楽器をふり回しながら、そろそろと四歩あるいてはゆっくり身体を反転させて、四歩戻る。この往復の繰り返し。なにかの舞踊めいた動きは宗教的な儀式のように見えるかもしれないが、これは私の子が二ヶ月になった頃に行っていた寝かしつけ作業の様子だ。ポイントは、歩く振動を与える事と「レジ袋音のラトル」(ピープル社)のサウンドを聴かせる事。ゆっくりと四歩分の区間だけを往復するのは、狭い部屋の中で歩き回る際の予想外の事故を防ぐためだ。

泣きわめく赤ちゃんをゆっくり揺らすと静かになり、やがて安らかに眠る。赤ちゃんのあやし方についてのステレオタイプ的なイメージだが、実際に抱き上げて揺らすのはとても効果がある。「揺さぶられっ子症候群」というものもあって揺らしすぎると危険、という事も知られているが、これは極端な揺さぶり方をした場合に起きるもののようで、普通に赤ちゃんの様子を観察しながら揺らす限りでは問題は起きないと思う。「揺さぶる」と「揺らす」の語のニュアンスの違いから、危険な動きと安全な動きの差異が読み取れるかもしれない。あるいは「ゆらゆら」と形容できるような範囲に留めておけばきっと安全だろう。

実際には「ゆらゆら」とは言えないような動き、ゴロゴロゴロと移動するベビーカーの細かい振動や、電車や車の振動でも子は静かになった。少し成長してそれなりに度々電車に乗るようになると、駅で停車すると不機嫌になり、電車が動き出すと大人しくなるという事も見られた。先述の「儀式」のように、抱っこ紐に入れて部屋を歩き回るのなんかもう最高という感じだ。揺れや振動で静かになる子の様子を見ていると、これは移動の感覚に対する生理的な反応なのかなと思った。

サルの親は自分に子供を抱きつかせたり、片手で子を抱えて移動するが、移動中にバタバタとあばれる子供は親の体から落ちてしまい、死んだり怪我をしたり、あるいは捕食者からの逃走中であればより深刻な事になっただろう。我々の祖先がサル的な生き物だった頃にもそのような経験をしており、移動に反応してじっとおとなしくする機能を持つ赤ちゃんは生き残り易く、それがヒトに受け継がれている、という事なのかもしれない。そう考えると、自分の子供が数千万年にわたる生物的な資産をしっかり受け継いでいるという風に感じられて、突然頼もしく見えてくる。

他に、「赤ちゃんが持つ反射」としてよく紹介されているものの中でも、びっくりした時に手足を突き出してこわばらせる「モロー反射」は親ザルに抱えられた子ザルが落とされるのを防ぐために役立つものだと言われる。「把握反射」はそのまま、親ザルの体毛にしがみつくための機能だろう。またサルだけではなく、ネコの首の後ろをつまむと動かなくなるのもおそらく同様で、親ネコが子ネコの首の後ろを噛んで運ぶ際に、子ネコが暴れて落ちないようになっていると考えられている。移動の際に赤ちゃんが動かなくなるしくみは、他にも多くの哺乳類が持っているかもしれない。

赤ちゃんを揺らすとおとなしくなる事について、たまに「海の波のようなゆらぎが赤ちゃんのリラックスをさそう」といったロマンチックな解説も目にするのだが、実際には移動中にじっとしていないと死ぬのでじっとしているようになったという話で、その特性を利用して、泣きわめく子を静かにさせ、そして寝かしつけたりしているわけだ。(続く)


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