ピンクで「かわいい」やつ(漫想新聞10号掲載)

「ぐりとぐら」の中川李枝子・山脇百合子コンビのデビュー作である「いやいやえん」は、発表から六十年以上経つ今も名作とされる童話作品だけど、子供の頃に読んだ時は、ひどくイヤな話だと感じた記憶がある。とはいえどういう所がイヤだったのかはっきり憶えているわけでもなく、子供の本を借りに図書館に行ったついでに「いやいやえん」を借りてきた。子供向けの本ではあるが、主に自分が確認するためだ。

「いやいやえん」の先生と思われる「おばあさん」のイラストがなんだか不気味だった、という事は憶えていたが、実物は記憶にある以上に不気味だった。(私は「ぐりとぐら」シリーズの絵もちょっと苦手で、特に「うみぼうず」の茫洋としたデカさにはいい知れない不安を煽られる)しかしそれ以上に「あ、これだったか」と思ったのは、冒頭、主人公のしげるが「赤は女の色だから」という理由で赤い服をいやがるシーンだ。

私は名前が女性っぽい響きの「ハルカ」なので、幼稚園に通っていた頃、その名前を「女だ」とからかってくる子供がいた。今ではそんな事気にしないというか、そもそも名前が女性的であるという事を指摘するだけでは「からかい」として成立していないと思うのだが、実際の子供同士のやりとりでは、言葉の内容とは関係なく口調や表情によって「お前をからかって/いじめていますよ」というメッセージが発信されて、とにかくそれが成立してしまう状況がある。そういった経験があった上で、服やおもちゃの色が赤いというだけの理由でそれを「女のもの」と決めつけて忌避する主人公は「あいつら」の姿とダブって見えていたんだと思う。これが私にとっての「いやいやえん」のイヤさの正体だった。

ところで「いやいやえん」の主人公・しげるが「女の色」と言っていやがった服の色は赤色だったが、今は赤が女性らしい色というイメージは無いのではないだろうか。大人向けよりもカラフルな服が多い子供服を見ても、薄ピンクと薄紫色が例外的に「女児向けの服」というイメージで使われる以外は、色そのものだけで性別を規定する様な使い方はされていない。私の子が通った保育園でも(薄ピンク・薄紫色の物を除けば)男子も女子もそう変わらない色合いの服を着ていた。

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子が四歳になる前の冬、西松屋でピンクの長靴を買った。あまり服装にこだわりがないタイプの子だったが雨具にはなぜか関心があり、店に並んでいる長靴を入念にチェックした上で「キラキラしててきれいだから」と選んだものだ。全体にラメが入ってキラキラしていて、またピンク色も今の流行りではない濃いめのやつで古臭いデザインだったのだが、西松屋のプライベートブランドだからこんなもんだろうとも思うし、西松屋のプライベートブランドゆえに安いという点は良いしなにより子供が自分で選んだ物なので、それを買った。

長靴を買った当初、子は喜んでそれを履いていたのだが、しばらく雨のない時期を挟んで六月になると、それを履くのをいやがるようになった。理由を聞くと「かわいいから」いやだという。実はこの「かわいい」には、私たちが普段口にする「かわいい」と少し異なるニュアンスが含まれている。

私が子供だった頃と異なり、現代では「男の子だからこうしなさい」「女の子だからこうしなさい」と子供たちに性別による「らしさ」や性役割を押し付ける事は、野蛮でしてはいけない事だと、多くの人が理解している。園の保育士さんたちもそういった時代を生きてきた人達であり、また保育士としての教育課程でもそういった事を十分に学んできたのだと思う。

それを象徴しているのが「おもちゃのスカート」だ。保育園では外遊び時などの利便性を考慮して、基本的に男女どちらもレギンスなどズボン状の服を履いているので、おままごとの様なごっこ遊びで「スカートを履いた役」ができるように、筒状の布にゴムを通して簡単に脱ぎ着できる様にしたスカート風のものがおもちゃとして用意されている。子供が乳児クラス(四月時点で〇〜二歳児である子供が所属するクラス)の頃は、どの子も性別に関係なくこれを履いて遊んでいた。ウチでも子にはズボン状の服しか履かせていなかったので、お迎えにいってスカートを履いた子が走ってくるのは新鮮で楽しかった。保育園での普段の様子は送り迎えの時や子の発言など断片的に窺えるだけなのだが、性別によって違う遊びに誘導されるような事はなく、子供たちのやりたい遊びをさせてくれているのだなと感じられた。

しかし、保育園で働いているのは保育士さん達だけではない。パートの職員さんたちは比較的高齢の方が多く、性別で好みや遊びを規定するべきではないという考え方が知られる以前の時代を長く生きてきた方々だ。そういった年齢層の異なる人たちが働く園内で、子供達に対してジェンダーの押し付けが行われるのを回避するための方針として、「男の子だから」「女の子だから」「男の子っぽい」「女の子っぽい」といった言葉を使わない、という方針が取られていたのだろう。保育園でも子供の口からも、そのような表現を聞いたことがない。(続く)


このエッセイの全文は「漫想新聞 第10号」(2023年5月発行)に掲載されています。

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