「漫想新聞11号」のお知らせ

「漫想新聞」に連載中の育児エッセイ、最新11号で最終回です。(最終回の試し読み)(「漫想新聞11号」の詳細→ Instagram, Twitter)読んでね!

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記憶の独り立ち(漫想新聞11号掲載)

アマゾンのビデオ配信サービスに「カーシティ」というアニメーションのシリーズがある。実際のタイトルとしては「カーパトロール」とか「スーパートラック(のカール)」「レッカー車のトム」といった作品名で登録されているのだが、どれも擬人化された車両たちが暮らす街「カーシティ」を舞台とした、いってみれば「カーズ」とか「トーマス」の亜流であろう「のりもの」モノの子供番組だ。この世界には人間が登場せず、乗り物だけが「演技」するためアニメーションの動きが少なく、また個々の登場車両にセリフがなく、代わりにナレーションのみでストーリーが進行するなど、低予算で作られていそうな事が視聴してすぐにわかる。アマゾンやユーチューブには同様な低予算子供向け番組が多数配信されているのだが、それらの中には子供の耳目を引くためにとにかく色使いをどぎつくしてあったり、出来合いのコンピュータグラフィック素材をコラージュ的に組み合わせて作った結果サイケデリックな悪夢の様な映像になってしまっていたり、といった番組も多い中、「カーシティ」シリーズは絵柄に統一感もあるし、全体に雰囲気が穏やかで、親としては安心して子に見せられる印象だった。日本語版のナレーションについて「棒読み」と視聴者から揶揄されている事もあったが、それはむしろ絵本の朗読の様な素朴な暖かさを感じさせるし、またおそらく全世界で「薄く広く」視聴される事を意図している番組ゆえなのだろうが、どこの国を舞台にしているのか分からない地域性を排除した背景が描かれ、その上でクリスマスやハロウィンといった日本のアニメでもお馴染みのイベントに加えて、春節や死者の日といった様々な文化圏の祝祭が登場する点なども興味深かった。

子が2〜3歳だったころ、この「カーシティ」シリーズや、他にも似た様な番組を毎日の様に見ていたのだが、その事を子はまるごと忘れている。番組の内容だけでなく、タイトルを聞いても「何それ?」といった反応である。あんなに一生懸命、何度も見てたのに?とちょっと驚いてしまう。ところが話を聞いていると、忘れているのはその番組だけでは無さそうだ。その後で見始めた「仮面ライダー」(これも配信で、過去の「平成ライダー」シリーズをいくつも見ていた)なんかも、シリーズとしての「仮面ライダー」は今も続いており、本棚に「平成ライダー大集合」みたいな本が今も残っているのもあって「仮面ライダーカブト」といった存在は知っているものの、実際に視聴していた内容に関する記憶はごっそり無くなっている様だ。他にも「パウ・パトロール」にハマって毎日の様に視聴し、のみならず8日間続けて同じ1つのエピソードだけ繰り返し見ていた事はこちらは絶対忘れようもない事なのだが、そんな視聴の仕方をしていた事も番組内容もろとも忘れている。こちらも「パウ・パトロール」のテレビ放送が今も継続していて、見ようとせずとも目に入る(なにしろ小学生に大人気の「ベイブレードX」の前に放送している)から、番組としての「パウ・パトロール」の存在は知っているのだが、その視聴体験についての記憶はもう無い。

つまり「カーシティ」シリーズの様にビデオ配信サービスの中にしか存在しないため、意図せず目に触れる事がなく、グッズや本の形で手元に残る事もない番組を見た記憶は、それがどんなに執着していたものだったとしてもすっかり忘れられてしまうのである。他にも低予算CG教育アニメの金字塔「マックス・ザ・グロウ・トレイン」や、カントリー調で消防システムの素晴らしさを伝える歌が軽快な「ロッツ&ロッツ・オブ・ファイアトラックス」、アニメでモータウン・クラシックスを学べる「モータウンの魔法」など、子が大好きな番組で、かつ私にとって忘れられないものが沢山あったのだが、それらは今では私しか憶えていなくて、まるで子育ての忙しさに見た幻覚だったのだろうかとさえ思えてくる(妻も憶えてるけど)。

ここからが本題なのだが、この様に小さい頃の出来事をごっそり忘れている状態は、実は誰にでも起きている現象で「幼児期健忘」という名前で知られている。忘れるのはもちろんテレビ番組だけでなく、例えば保育園で遊んでいた友達の事も、卒園まで一緒だった子たちの事はなんとか憶えていても、途中で転園していった友達のことは忘れてしまっていたりする。

ほぼ誰にでも起きているとされるこの幼児期健忘だが、多くの人はそれをあまり意識しない。昔のことを忘れているのは当たり前で、それが幼少期の様に大昔のことになればなおさらだから、名前がついている現象であるとはいえごく当然のことでもあるからだ。しかし私は子供の頃「3〜4歳以前の記憶が無い」事が不思議でしょうがなかった。というのもちょうどその頃に家の引っ越しがあり、転居後の家での生活は何でも思い出せるのに、転居前に住んでいた家がどんな家で、そこでどんな生活をしていたかなどを一切思い出す事ができないのだ。そういった疑問を抱えていたため、その後「幼児期健忘」という言葉に出会った時は「これだ!これだったんだ!」と興奮した記憶がある。(続く)


このエッセイの全文は「漫想新聞 第11号」(2025年7月発行)に掲載されています。