続・イヤイヤ期 (漫想新聞8号掲載)

子が二歳だったころ、それから三歳になった後も、「イヤイヤ期大変?(大変だった?)」としばしば聞かれた。三歳になってしばらく経った今、聞かれたら……「実はまだイヤイヤしているのです」と答えるしかない。

むしろ、子が二歳児だった頃のイヤイヤは、一時的な発作としてイヤイヤしている感じで、しばらくたてばケロッとこちらの言う事に従ってくれる感じだったのだが、三歳九ヶ月のイヤイヤは、「おれはそれはイヤだから絶対にしないのだ」という確固たる意志を持ってイヤがっており、言葉も達者なら力も強く手に負えない。何が「魔の二歳児」だ今の方が断然大変だぞという状態である。

「イヤイヤ期」の原因についてよく言われている説明は、形成されはじめた自我の最初の働きであるという物だ。そもそも「イヤイヤ期」以前の子供、つまり赤ちゃんにとって、毎日の生活は何をするにも保護者のペースである。お腹の空き具合やオムツの状態などの生理的な不快感によって泣くという行動はあるものの、いつ何を食べ・何を着て・どこに出かけるのか、全て保護者に決められるがままの生活を送っている。これが、自我の形成に応じて自分の欲求や意思が生じてくると、保護者の決めた行動・処遇ではないものを求めるようになる。しかし、この頃はまだその欲求・意志を伝達する手段を持たないため、単純に「イヤ」と拒否する行動で示す他ない。「イヤイヤ期」は自己決定の最初の一歩なのだろう。

それでも言葉が少ない時期の「イヤイヤ」はそこで通したい欲求もまだ曖昧で、前述の通りひとしきり「イヤイヤ」し終わればケロっと「いい子」に戻ってしまう。しかし、成長に応じて知っている語彙が増え、言葉が自在に使える様になってくる事で欲求がより具体的に意識できる様になり、それを表現する手段も身につける事で子の「イヤイヤ期」は新しい段階に入った様に思える。これを便宜的に「続・イヤイヤ期」と呼ぼう。

私の子がこの「続・イヤイヤ期」に具体的に「イヤイヤ」してきた対象は時期に応じて異なるが、もっとも多いパターンは、今自分が一番やりたい遊び(レゴブロックだったり、ミニカーだったり、パズルだったり)を継続したいというもので、それを中断しなければいけない食事・風呂・登園・就寝などをイヤがる。というパターンが多い。

そういった場合、単に「イヤイヤ」とイヤがるだけに留まらず、イヤがる理由を述べる事でこちらを説得しようとしてくる。理由といっても「ごはんきらい」「おふろきらい」「ほいくえんきらい」といった単純なものだが、どう見ても本当に嫌っている様には見えない。「イヤイヤ」を乗り越えていざ食事を始めると結構きちんと食べるし、お風呂も入ってしまえばご機嫌でお風呂のおもちゃで遊んでおり、保育園には大好きな友人もいて、帰りは中々帰りたがらない。全ては、今やってるご機嫌な遊びを継続したいと言う気持ちがあって、その理由として「《次にやらねければいけない事》がきらい」という理由を生み出している。(続く)


このエッセイは「漫想新聞 第8号」(2019年3月発行)に掲載されています。通販品切れなんですが現在の最新号のため全文は掲載しませんので、続きはなんとか探して読んでください。ちなみに新型コロナとかあって漫想新聞第9号の発行が延びていますが、私の記事は2020年中に書いてありまして、2021年中には発行されると思います。